J-POWER 只見展示館が2022年9月28日にリニューアルオープン!
話題のISSIMOで、リニューアルオープンで話題のJ-POWER 只見展示館へ、昨今話題のVRでのダム見学も。
話題・話題・話題づくしの只見を巡る旅、J-POWER 只見展示館編その2。
(館内情報SNSアップOK。なお、記事には展示にない内容もあります。)
前回、黒谷発電所の黒谷取水ダム模型の存在を確認したので、今回から他の展示も少しづつ。
田子倉ダム建設当時の写真
厳選された田子倉ダム建設の貴重な写真が50枚ほど、綺麗にデジタル化されて、大きなスクリーンでリピート展示されていました。
2022年10月1日、2011年の豪雨災害から11年振りに再開通した、会津川口-只見区間は、約50年ほど前に、田子倉ダム開発に伴い建設された、電源開発の専用線区間にあたります。
福島県内で只見線が繋がった最後の区間です。この時、新潟県側は小出から大白川までが既に繋がっています。
展示館で展示されていた写真から。
高所ではなくても、移動する車に轢かれる事故などもあったそう。慰霊祭の様子の写真も。
大量のコンクリートが列車で運ばれたようです。
田子倉ダムは大きいので、フランシス水車。田子倉のような大きいダムに合うらしい。
Welcome the members of I cold
Welcome the members of I cold ってなにかねと思って調べたら、International Commission on Large Dams (ICOLD:国際大ダム会議)という調査研究機関があるのですね。
日本版は、Japan Commission on Large Dams(JCOLD)。日本語で、日本大ダム会議。
ここで一旦、只見線の歴史メモ
佐渡金銀山、石油採掘、新潟港・・。
(会津)若松駅も、元々、東京-郡山から新潟へ抜ける岩越鉄道の一駅として開業したことからも、新潟県は歴史的に本当に重要な拠点だったのだろうと思われます。
新潟県の浦佐駅や小出駅が、既に上越線の駅として、1923年9月1日、関東大震災の起こったその日の朝に開業していた一方、福島県側は会津若松-会津坂下間の開通が1926年、会津柳津までが1928年。
1933年に小出-柳津間が着工線に決定し、1935年に工事着工を迎えるも、1937年の日中戦争で中止に。
工事は一旦再開し、会津宮下まで延長するも、今度は1941年の太平洋戦争で再び中止に。
一方、新潟県側は、大白川付近の豊富な資源が、その戦争が理由で注目されることになり、また、上越線が小出まで来ていたこともあって、小出-大白川区間の工事が再開。新潟側は1942年に小出-大白川が開通。
1945年、終戦。
只見線の福島県側は鉄道が通ってなかったため、ブナの伐採を免れたという話を以前聞いたことがあります。
福島県側の会津宮下-会津川口間は、戦前からあった国による鉄道敷設計画、只見川の水資源開発への動きや、敷設運動などにより、中止から14年後の1955年に工事再開、1956年に完了。
時期は少し遡って、1953年に電源開発(以下電発)の管轄で建設することになった、奥只見ダム、大鳥ダム、田子倉ダムと、滝ダム。
電発が、田子倉ダムの建築資材の運搬手段として鉄道を考えていた頃、鉄道は田子倉から38kmに位置する、会津川口までの工事が再開していた(1956年9月開業)。
ダムが完成した後には、会津線の延長区間として国が買い上げる等、諸々の条件のもと、1956年に電発の専用鉄道の建設が決定、翌年の1957年に、会津川口から田子倉ダム建設現場(宮渕)までの専用鉄道が開通。
田子倉ダムはそれより早い1955年9月に着工していて、鉄道が出来るまではダンプで運んでいたようです。
田子倉ダム完成に貢献した専用線は、その後、国鉄に引き渡され、1963年に会津川口-只見間が開業。
その後、大白川-只見間建設のなドラマチックな現実を乗り越え、1971年、遂に会津若松-小出間を結ぶ只見線の開業となります。
次回も引き続き、只見展示館1階の様子をお送りします。