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上越線〜只見線沿線を巡る旅 202210 長岡編2

上越線〜只見線沿線を巡る旅の記録。ずっと訪れたかった新潟&福島県内の諸々の場所を巡ります。

1日目 長岡編 その2。途中途中の分岐・脱線ばなしもお楽しみください。

 長岡震災アーカイブセンター

長岡震災アーカイブセンターは、2004年に起きた中越地震の記憶と記録を後世に伝える施設。

防災に関する情報やグッズなども展示・紹介されていました。

部屋の床いっぱいに広がる長岡周辺の地図では、震源地や地震が走った断層のライン(山の尾根)、新幹線が脱線した場所、市街地などの位置が把握できます。

写真は震源地と新幹線脱線現場。

 米百俵の碑@国漢学校跡地

米百俵の碑のある国漢学校跡地では、未来へつなぐ再開発事業の真っ最中。

この建設現場の仮囲いの使い方は素晴らしい。

この年表を目に入れた後に、長岡のまちを巡ると、より歴史が立体的に見えてくる感じがします。工事が終わっても駅前のどこかに残っているといいですね。

 1618 長岡城

 1868 北越戊辰戦争

 1870 米百俵の精神

国漢学校を開いた小林虎三郎の米百俵の精神、復興の恩人 三島億二郎や、互尊文庫の野本恭八郎の影響なのか、長岡は子供を対象とした施設が多い印象です。

>>国が興るのも 街が栄えるのも ことごとく人にある
>>食えないからこそ 学校を経て 人物を養成するのだ

 1878 復興の恩人 三島億二郎

 1918 互尊思想の結晶 互尊文庫

 越後長岡ROOTS400

長岡を沢山学べる、建設中の仮囲いにあったQRコード先は、越後長岡ROOTS400でした。

 脱線ばなし1 司馬遼太郎さんの「峠」

越後長岡ROOTS400の文字の並び、見覚えがあると思ったら、この冊子のシリーズだったのですね。

司馬遼太郎さんの『峠』の黄色い冊子を持っていました。

 脱線ばなし2 稲川明雄が語る 今に活かせる長岡の歴史

今回、サイトの下にリンクがあった長岡開府400年特別番組を見つけました。

只見町で行われた河井継之助墓前祭で何度かお見かけしましたが、この方の存在は本当に大きかったですね。

長岡市「稲川明雄が語る 今に活かせる長岡の歴史」-第1回

番組内容:河井継之助記念館の稲川明雄館長が、新潟県長岡市の開府から今に至る歴史や先人たちの知見を広く紹介します。

 脱線ばなし3 建設中の仮囲いの有効活用で浮かぶのは森永製菓のキョロちゃんコーナー

仮囲いのキョロちゃんミュージアム@東京/三田には、森永製菓の「おかしな!?れきし」が、1899年から2022年まで見応えたっぷり。子供たちの塗り絵とのコラボや、森永製菓のサスティナブルな取り組み、サスティナブルについて楽しく学べるゲームやクイズへの入り口になっています。202303現在も展示中ですがいつまでかは不明です。

さて、長岡街歩きに戻ります。

 まいまいひめの像のある広場

お侍さんと町人の住むところは、大体この辺で分かれていたようです。

長岡城下 今と昔。

まいまいひめの広場の周辺の歩道も、道が広い分、消雪設備もかなりしっかりしている印象ですが、雪国でここまで広い歩道は、なかなか見ない気がします。

 道を入ると、道が赤い👀

写真で撮るとそこまででもないですが、実際に目で見るともっと赤いです。

信濃川の伏流水の井戸水で、鉄分があるので赤くなるらしいですが、只見の道路が赤くないのは、雪解け水だから?🤔

小千谷のガス水道局水質検査計画を少し読んで見た限り、どの位の深さから井戸を掘るかによって、少量の鉄・マンガンを含む場合があるのですね。

 寺町のあたり

ほんとだ、寺町というだけあって、やらたとお寺があります。お寺の隣はお寺。お寺の向かいもお寺。

 西福寺の梵鐘

戊辰戦争の時に、西軍が信濃川を渡って攻めてきた時に鳴らした鐘だそうで、想像したら緊迫感が襲ってきました。

 相馬御風の歌碑と維新の暁鐘

糸魚川の歌人 相馬御風の歌碑もあります。

調べたら、♪は〜るよ来い、は〜やく来い・・の童謡の方のようです。

この道路に面した方の土台のところに、維新の暁鐘と題し、この鐘にまつわる歴史的背景が記されていました。

 互尊文庫&文書資料室

先ほど、建設現場の仮囲いに説明のあった、あの互尊文庫の創設者 野本恭八郎の像とここでご対面。街歩き楽しい。

当初は学力の差がある事で、先ほどの国漢学校は元武士の子供たちが学び、このあたりの学校は元町人の子供たちが学んでいて、かなり賑やかだったようです。

 長岡空襲 爆撃中心点の碑

近くには静かに、長岡空襲 爆撃中心点の碑が。

 山本記念公園

山本五十六は、父親が56才のときの子だったから五十六なんですね。

公園内の山本五十六の胸像は、連合国軍から立像を隠すために切った名残で、胸像のみのレプリカなのだとか。しかし、胸から上だけでも1m以上あるのです。

写真は、復元された生家の方。2階の天井は、思ってた以上に、さらにそれ以上に、低い。

そして、その型の方が、ちょっと衝撃的に登場します。

 雁木(がんぎ)

お家の前にある屋根っぽいところは、雪国の習わしの名残り。まだ木の屋根が残っているところがありました。

名前を知らなかったのですが、「がんぎ」というそうです。

こちらのサイトに少し載っていたのでリンクしておきます。

雁木(がんぎ)って知ってますか?

次回もまだ長岡市内。いよいよ、河井継之助記念館へ向かいます!