Memorial at Grave of Kawai Tsugunosuke <Io-ji Temple, Grave of Kawai Tsugunosuke>
会津戦争終結から150周年を迎える今年、会津若松市では、戊辰150周年記念に関する企画展・シンポジウムなどのイベントが数々催されています。
そしてそれは、北越戦争で傷を負い、八十里越から会津へ向かおうとした長岡藩家老・河井継之助が、只見町塩沢の医師、矢沢宗益宅にてその生涯を閉じてから150年という節目の年でもあります。
8月16日は河井継之助の命日です。継之助のお墓がある只見町塩沢の医王寺では、毎年河井継之助墓前祭が執り行われています。 塩沢にある河井継之助記念館には、矢沢家が5代にわたって守り続けてきた「河井継之助 終焉の間」が、当時のまま残されています。
只見町河井継之助記念館や医王寺には、以前にも訪れたことがありました。只見町塩沢地区の皆様による河井継之助墓前祭については、存在は耳にはしていたものの、’来年は没後150周年を迎える’という昨年2017年に初めての参加となりました。
継之助の墓前で、かつて河井継之助と新政府軍による小千谷談判が行われた慈眼寺のご住職による読経や、参加者の方々の焼香が行われ、長岡市の前田剣豪会の皆様による剣舞が奉納されました。
墓前祭の後は、継之助記念館で記念講演などが行われる年もあるようですが、参加したこの年は、近くの集会所で河井継之助を語る会が開催されました。参加者の方々が、河井継之助や只見・長岡に関わる貴重で具体的なお話をされていて、興味深くお話を聞くことができました。
語る会は今後も継続されたい意向のようですので、興味のある方にはとても有意義な情報交換の場になるのではないかと思います。
(2018年6月)