Kobayashi-Saotome Dance Preservation Society 〜Kobayashi-Kagura〜
小林早乙女の歴史は古く、約400年前から豊作を祈願する村人たちによって大切に保存継承されてきました。
この早乙女踊りの由来は、江戸時代の初め、慶長十年(1605年)、会津地方は、冷雨が続き、大凶作となり困り果てた農民が豊作と家内安全を祈って、若い娘二人に色鮮やかな晴れ着を着せて踊り子とし、別に男一名を道化役に仕立て、唄に合わせて、身振り手振り面白く、稲の種おろしから田植えまでの作付けを振付けた踊りでした。
すると不思議なことにその年は、大豊作となり、喜んだ村人は以来欠かさず毎年続けてきました。
早乙女踊りは、かつては、十五歳から四十二歳まで会員の若連が継承していました。大正初期から青年団と改め、十五歳から三十歳までの団員となり継承しました。
昭和三十四年若い人たちが都市部へ出稼ぎに行く人が多くなり、保存が難しくなり、昭和三十五年、地区有志により、小林早乙女保存会を結成し、現在に至っています。なお、会員は小林区民全員となっています。
・・・以上、第45回只見ふるさとの雪まつり 伝統芸能発表ステージ会場アナウンスより・・・
江戸時代に由来する早乙女踊りは豊作祈願を祝うもので、会津地方の各地域で踊られていたようですね。只見町では、現在も只見の小川、小林、梁取地区でその伝統が伝えられ続けているそうです。
小林・梁取の早乙女踊りと神楽は、県の重要無形民俗文化財に指定されています。今回は小林地区。イラストは、小林神楽の最後に獅子に頭をかじってもらうところです。色々なシーンがあるので、ちょっとずつイラストも増やしていけたらと思います。
伝統芸能に限らず、同じ町内でも、このように限られた地区で受け継がれてきているものが多々あります。
雪まつりのステージや、東京上野で行われている南会津フェアなどのイベントで見たことはありますが、集落内を巡る、地域に根ざした生きた伝統芸能としての早乙女踊りはまだ見たことがないので、是非見てみたいものです。
(2018年2月)