只見を巡る旅 ~布沢(ふざわ)癒しの森と河井継之助記念館、念願の八十里越県境~
2日目
もちの話
八十里越県境 予習
八十里越県境
河井継之助記念館〜外山脩造 没後100年企画展〜◀︎◀︎
塩沢 山菜まつり
手打ちそば処 八十里庵
最後に
県境の空気を堪能したところで、「只見を巡る旅 2016」は河井継之助記念館へと続きます。
途中、足元の植物が、只見線不通区間を物語っていて物悲しさを感じながらも・・・
2011年7月の「新潟・福島豪雨」被害後、タクシー代行してる区間です。
その後、2017年6月に鉄道運行継続による復旧が決定、2018年春から全線復旧へ向けて本格着工しています。
河井継之助記念館では、「外山脩造 没後100年 企画展」も催されていました。
大阪の財界人「外山脩造」は、現在の新潟県長岡市出身で、戊辰戦争の最中、生涯の師と仰いだ長岡藩家老「河井継之助」と共に只見町に滞在した際、死の床の継之助から「商人になりなさい」と言われその道を進んだのだそうです。
八十里越などの詳しい説明を聞きながら、ツアーの充実さを満喫。
この壮大な眺め。おかげで予定より壮大なブログ記事となっています。
司馬遼太郎さんは、「峠」執筆中は時間がなく只見まで来ることはできず、連載終了数年後に来られたらしいです。
屋外にある「河井継之助君終焉之地」と刻まれた石碑。
松平恒雄 氏(会津藩主 松平容保のご子息の方)の書とのことです。
石碑の建之者(?)リストには、長岡つながりか、山本五十六の名もあります。
ところで、この辺はこの年2016年では2回目の訪問です。
1回目は冬でした。
この時期、河井継之助記念館は冬季休館でが、塩沢観光協会による、ミニ(というには大きすぎる壮大な)雪像を撮りに近くまできていたのです。
機会があれば、只見ふるさとの雪まつり期間に合わせて現れる「ミニ雪像」についても只見通信でお伝えしたいと思います。
次回、すぐ近くで開催されていた「塩沢 山菜まつり」に立ち寄ります。
只見を巡る旅 ~布沢(ふざわ)癒しの森と河井継之助記念館、念願の八十里越県境~
2日目
もちの話
八十里越県境 予習
八十里越県境
河井継之助記念館〜外山脩造 没後100年企画展〜
塩沢 山菜まつり◀︎◀︎
手打ちそば処 八十里庵
最後に
只見を巡る旅 2016 シリーズ
~布沢(ふざわ)癒しの森と河井継之助記念館、念願の八十里越県境~